いのちの有限性…フライングマン


『MOTHER』(任天堂)のフライングマン23:11~

 フライングマン。
 話しかけるといきなり仲間になり、一緒に戦ってくれる不思議なキャラクター。
 しかし、ステータスは表示されないため、戦闘で受けたダメージの回復は出来ず、ある程度ダメージを受けると死んでしまう。

そして二度と生き返らず、彼の墓だけが残る。


○主人公が「不死」であるから、フライングマンの命の有限性が際立つ
 
 大抵のゲームの主人公・および仲間になるようなキャラクターは「不死」である。ストーリーの進行で命が絶たれることがあっても、それまでは何度でもよみがえる。プレイヤーがゲームのクリアを望む限り、何度でも生き返り、旅を続ける。そうしないとゲームが成立しないのであるが。



 フライングマンの存在がストーリー進行にかむことは無い。別に彼らがいなくても、主人公は十分に戦える。ストーリー進行の重要な情報やアイテムをくれるわけでもない。ゲームにおいて、彼らが存在する絶対的な意味が無いのである。
 多くのプレイヤーは(人によって感じ方はそれぞれだが、ニコ動のコメントを見る限り)、ただ彼らの存在を「悲しい」と感じる。しかし、そこにそれ以上の意味など無い。

 しかし、むしろ、この「無駄な存在」こそが、大事なのではないだろうか。



 なぜフライングマンの死が悲しいのだろう?

 人間は一つの状態にとどまっていたい、と願うのが常。
 一度手に入れた「価値」を、「さらに手に入れたい」とは思うけれど、「手放したい」とは思わない。ここでいう「価値」とは、「金」「自動車」「土地」のような具体的なものから「権力」「技術」といった抽象的なものまで、さまざまである。
 そして、価値を持つことは、快楽につながる。人間には本能として「欲」というものがある。「価値」を手に入れることは、その「欲望」を充足させることであり、そうして生じる「充足感」「満足感」は、本能が「快楽」であると感じるのである。

 一方、ある生物の「死」とは、その人との永遠の「別れ」である。「別れ」とは「価値を手放す」ことである。価値を手放すことは、手に入れた「快楽」をも手放すことである。
 「楽しい」の反対は「悲しい」である。「楽しい」が無ければ「悲しい」も存在しない。
 だから人は、「死」を悲しく感じる。

 目の前で一つの死を見て、そのことから「悲しみ」を感じる。そうして刻み込まれた感情(トラウマのようなもの)と共に命の有限性を認識する。その認識こそが、フライングマンがもたらしてくれる、価値。


 フライングマンの意味は、ゲームの中ではなく、プレイヤーの生きている「ゲームの外」の世界にこそあるのだと思う。


 折りしも「命の大切さがわからなくなる」、というようなゲームの弊害が叫ばれるようになったころ。

 そういう時代のさなか、このキャラクターを登場させた糸井重里のセンスに、改めて感服する。
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Comment

No title
ああ、MOTHER2俺もやりましたよ!
このゲーム面白いですよね。

フライングマンは余裕で使い捨ててました!
  • 2010/09/05 18:04
  • カオスヒーロー
  • URL
  • Edit
Re: No title
MOTHERシリーズ、全部実況プレイで補完してる俺…
RPGはレベル上げがめんどくさくてどうしても触手が伸びない。

余裕で使い捨てwwフライングマン涙目(´;ω;`)
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